2007年03月ログ。 |
ビニール袋にウンコをしたことがあります。 いろいろなことがあります。おひさしぶりです、ビューティーでございます。最近はネットの匿名性が問題視されていますが、匿名でないと言えないこともあるのです。顔の隠れた懺悔室で告白をします。私は、コンビニのレジ袋に、ウンコをしたことがあります。 薄暗い小窓の向こうから、人をバカにしたような笑い声がもれてきた気がしますが話を続けさせていただきます。ただし、どうしてそんなことになってしまったか、またそれがいつの出来事なのかといった細かい事情についてまで、くわしく申し述べる気はありません。人には知っていた方がいいことと、知らなくていいことがあります。ほとんどの人にとって読み書きそろばんを学ぶことは人生を豊かにする上で重要なことですが、全員が相対性理論について知識を深めてディスカッションをする必要はありません。この例えで言うと、ビニール袋にウンコをした経緯や時期の話はどちらかというと相対性理論に近いものです。 さてビニール袋にウンコをしたあの日、私はそれをぶらさげたまま考え込んでいました。処分についてです。想像していただきたいのですが、ウンコの入ったビニール袋をどこに捨てればよいか、というのは意外と難しい問題です。袋ごとどこかに放置するのはテロに近いレベルの迷惑行為ですし、かといってウンコだけをどこかのトイレに流すこともできません。ウサギのウンコのような状態のものであればそういう手段もとれるのでしょうが、その時はそうではありませんでした。どういうことかをくわしく申し述べる気はありません。人には知っていた方がいいことと知らなくていいことがあり、これは相対性理論に近い方のやつです。 ウンコの入ったビニール袋を持ってさまよううちに、仏の教えが脳裏をよぎります。「人間とは皆、糞袋である」 ―― 私という糞袋から生まれた、この手にある糞袋。まさしくこれは我が子でありました。ならば手元に置いておくべきであるとも考えられますが、事態は一刻を争う状況だったのです。最近得た情報によると、コンビニのレジ袋というのはコストダウンのため限界まで薄く作ってあるそうです。そんな豆知識を聞いた時、自分はそれを知っていた、と感じました。くわしくは言いません。相対性理論に近いやつです。 その後、私は自分なりにベストの処分方法を考え、とある場所に糞袋を捨てることにしました。どこなのかは言いません。相対性理論のやつです。捨てた場所をここでは仮に赤ちゃんポストとさせていただきます。赤ちゃんポストに我が子を置いた時、わき上がる罪悪感。責任を全うできない情けなさ。申し訳ない気持ち。それらが一気に私の胸をしめつけました。本当にこれで良かったのか。どうして自分はこんなことをしているのか。なぜこうなってしまったのか。 うつむく私の前方から、光が差し込みました。思わず顔を上げたその時、私は神を見たのです。こんな自分が許されるはずがありません。しかし、神は、ただ、言いました。 「いのりなさい」 「いのりなさい」私の目からは涙がこぼれていました。「いのりなさい」その場から逃げ出したい思いで、私は一心不乱に駆けていました。「いのりなさい」その身体は速度をどんどん増してゆき、とうとう私は光の速さで走っていました。
光の速度で移動する私が見る神の後光。それがどんな形をしていたのか、くわしく申し述べる気はありません。それは相対性理論です。
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