前の月 /  TOP  / 次の月

2006年11月ログ。   

 世界史の授業をやってない高校が結構あったらしい。

 ばら戦争に出てくる「ランカスター家」って、おいしそうな名前だなあとか思いながらボンヤリ授業を受けてた程度の俺は、世界史という教科自体については特に思うところがない。ちなみに、世界史に出てくる名前で一番おいしそうだと思ったのは「シモン・ド・モンフォール」。たぶん、ふわふわしている。

------------------------

 今回のような問題が起こった原因として、ゆとり教育のひずみ、ということが言われている。本質は、通信教育大手のZ会が何年か前に広告に出していた「ゆとり教育はある。ゆとり入試はない。」というキャッチコピーが端的に表していたと思う。大学全入時代とはいえ、いわゆる「いい大学」に行こうと思ったら、文科省の指示するカリキュラムでは入試に対応できなくなっている。大半の生徒がレベルの高い大学を目指す、進学校と呼ばれるような高校を中心に必修逃れの動きがあったのには、そういう背景があるようだ。

 ゆとり教育について個人的に振り返ると、俺が高校生の時に、授業が削減され、毎月第2土曜日が休みになった。すごく嬉しかったので、その時のことははっきり覚えている。

もう、ずいぶんと昔のことです。いつもの通り青空教室に集まると、先生が「今から学習内容を削減する」とおっしゃいました。突然のことでしたのでたいへん驚きましたが、わたくし達は先生のおっしゃる通りに、教科書に墨を塗っていきました。はじめのうちは神聖なる教科書に墨を塗る行為が面白く、皆ではしゃいでおりましたが、先生が次のページも、次のページもと、あんまりすべてのページを塗りつぶすので、ついに級友のひとりが泣き出しそうな声で「先生、先生、これではまるで読むところが無いではありませんか」と言いました。先生は下を向いたまま、「今までの教育は間違っていたのだ」とおっしゃいました。まだ墨塗りは続きました。わたくしの大好きな肉弾三勇士のお話も、兵隊さんよありがとうの歌詞も、円周率の小数点以下も、すべて塗りつぶされました。級友たちは泣きながら畜生、畜生と言いました。先生は下を向いたまま黙っていました。それは夏の暑い日のことでした。抜けるような青空に、真っ黒な教科書が光りました。進駐軍がくれたチューインガムは、ゆとりの味がしました。

 捏造された記憶をたどるのはこれくらいにして、とにかく第2土曜日が休みになった頃のことは覚えてる。詰め込み式の勉強ばかりじゃなく、自分の頭で考える力を育てようみたいな、そういう世の中の流れがたしかにあった。で、どこかの新聞が「休みになった第2土曜日をどう過ごしますか」ってアンケート取ったら、「塾へ行く」が一位で、大人がみんな「えー!?」ってなってた。当時、すでにそういう問題は認識されていた。まあ普通に考えて、進学する生徒は受験が控えているのだから、単純に休みを増やしたところで、じゃあ土曜日が休みだからちょっと河原にあつまって相撲でも取ろうか、とはならない。

 最近、塾や予備校に通うことのできる生徒と、そうでない生徒の間に学力の差が生まれていて、これは階級の固定につながるのではないかと問題視されてるようだが、ゆとり教育の目指すものがテストの点数ではないのにテストの点数だけを競わせているからおかしいわけで、テストで得点する能力だけではなく他の要素をも育てたいと本気で考えるなら、文科省の言う「生きる力」とやらを伸ばしたいなら、土曜日に相撲を取らせたいなら、いろいろな角度から生徒を評価する基準と仕組みがなければならない。

 ただ、そう簡単に評価とは言っても難しいもので、たとえば高校生活の三年間でボランティアを精力的にやっていた生徒を大学に入れてあげますということになった時に、やりたくもないボランティア活動をポイント稼ぎのように行う生徒がたくさん出てきたりすることは目に見えていて、そう考えると、入試科目偏重の教育実態が明らかになった今、文科省や大学側は、前もって告知しない評価基準の採用を検討してくるのではないだろうか。

 だから、いま高校生以下で大学に進学しようという人達は、これから先どんな評価基準が採用されるかわからないので、注意しておいた方がいい。とりあえず、入試当日、校門前におじいさんが倒れていたら助けろ。大学の入学式で「あなたはあの時のおじいさん!」みたいなドラマが起こる可能性は、かつてないほど高まっている。


上に戻る


前の月 /  TOP  / 次の月

 

TOP