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2003年06月17日ログ。   

●2003/6/17

 英語が必要な場面というのは意外とある。

 「自分は海外に行かないから英語なんて必要ない」と思っていたが、国内に居ても英語に出会う機会が増えてきた。例えばインターネットの登場。面白そうなコメントにつられてリンクをクリックしたら、リンク先が英語ページで、すごすごとブラウザの戻るボタンを押して引き返すなんて事が多々ある。まぁ、読むくらいなら辞書を引きながらでも何とかならないこともないが、道端で外国人に道を聞かれた時など絶望的だ。「プリーズ、ゴー、ストレート、ライトターン、アフターワンブロック」などと真っ赤になりながら説明し、家に帰っても屈辱感が拭えずに本なんか調べちゃって「曲がるはturn toだよなぁ」と眠れないほど悔しがったり。

 そこで気になるのが小林克也のアメリ缶だ。

 ドリッピーだのコインの冒険だのではない。アメリ缶だ。オーソン・ウェルズよりも断然小林克也。だいいち「コインの冒険…主人公であるクォーター硬貨(クォーターとは1/4のこと→転じて1ドルの1/4である25セント硬貨のこと)が見つめる様々な人間模様」という題名の注意書きにすら「へぇ、そうなんだ」と感心しているようでは先が思いやられる。小林克也なら日本人離れはしているが一応日本人。クォーター硬貨はピンと来なくても「今日は財布に夏目さんしか居ないよ」みたいな話ならスッと飲み込める。アメリ缶にそんな機微のある例文は無さそうだが、日本人が話してると思っただけで少しは身近に感じられるというものだ。

 そこで検索してみたところ、今はパソコン版アメリ缶が主流らしい。テキストとCD-ROMが入った、最も効果的なトレーニング方法とされるディクテーション練習ソフト。 ディクテーションというのが何のことかいまいち掴めないが、たぶんすごいんだろう。学習が終わる頃には理解できるようになっているに違いない。

 しかし、どうもパソコン版には食指が動かない。確かにCD-ROMの方が便利である。オリジナルのアメリ缶だとカセットテープ。今時カセットテープかよ、という感は否めない。わかってはいるがオリジナルの方に魅力を感じる。どうしてなんだろう。双方を今一度見比べてみる。

 

アメリ缶比較図






 わかった。




缶

 缶だからだ。


 缶に入っていてこそアメリ缶。缶にギッシリ詰まった英語の極意。フタを開けた途端に広がる世界。ハロー、ワールド。道もどんどん聞いてくれ。まっすぐ行ってターン・トゥ・ザ・レフトだ。もう 英語なんて怖くない。俺にはこの缶があるのだから。

 いろいろ理屈を並べてみたが、結局自分は缶が欲しかっただけだと悟った。本気で勉強したくなったら缶に頼らずノバとかに行こうと思う。

 



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